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1960~1979

 

1960 - KODAK ESTAR Film Base(KODAKイースターフィルムベース)(ポリエステル製フィルムベース)が発表され、KODALITH Graphic Arts Film(コダリスグラフィックアーツフィルム)に対するサイズの安定性が向上しました。♦ RECORDAK RELIANT 500 Microfilmer(レコーダックレライアント500マイクロフィルマー)が発表され、1分あたり最大500枚の小切手、または185通の手紙を撮影できるようになりました。♦ Dr.Albert K.Chapman(アルバート・K.チャップマン博士)は取締役会副会長になり、William S.Vaughn(ウィリアム・S.ボーン)は社長兼CEO(chief executive officer:最高経営責任者)になりました。

1961 - Kodakは、大きな成功を収めたKODAK CAROUSEL Projectors(KODAKカルーセルプロジェクター)シリーズのうち最初の製品を導入しました。この製品は、80枚のスライドを収容する円形のトレイを採用しました。♦ KODACHROME II Film(コダクロームIIフィルム)が導入されました。これは、長期にわたって使用されてきたKODACHROMEフィルムに対して大きな改善を加えたものでした。


KODAK CAROUSEL Projector(KODAKカルーセルプロジェクター)。

1962 - 米国での 連結売上が初めて10億米ドルを上回りました。また、全世界における従業員数が75,000人に達しました。 ♦ John Glenn(ジョン・グレン)が、地球を周回した米国人初の宇宙飛行士になりました。Kodakのフィルムは、時速28,000 kmで宇宙旅行をしている彼の行動を記録しました。 ♦ Dr.Albert K.Chapmanは、取締役会会長になりました。これは、Thomas J.Hargraveが死去したためです。

1963 - 使いやすいカートリッジロード式のフィルムを採用したKODAK INSTAMATIC Cameras(KODAKインスタマティックカメラ)が発表され、やがてアマチュアの間での写真の人気を新たな水準に高めました。1970年までに、5,000万台のINSTAMATIC Camerasが生産されました。

1964 - New York World's Fair(ニューヨーク世界博覧会)に出展したKodak Pavilion(Kodakパビリオン)は、その世界博覧会に登場した建物の中で上位10位に入る大きさでした。その「Tower of Photography」(写真タワー)では、それまでに展示されたうちで最大の屋外カラー写真を用意しました。

1965 - Kodakはスーパー8形式を策定し、新しいカートリッジロード式のKODACHROME II Film(コダクロームIIフィルム)を使用してスーパー8ムービーを投入しました。♦ KODAK INSTAMATIC Camerasにより、カメラマンは1回のフラッシュバルブ交換で4回のフラッシュ撮影を実行できるようになりました。♦ 新しい自動プロセスシステムにより、X線フィルムの処理時間がわずか90秒に短縮されました。

1966 - KODAK 2620 Color Printer(KODAK 2620カラープリンター)は、電子メモリーを採用し、1時間あたり2,000~3,000枚の写真をプリントできました。♦ 月のコペルニクスクレーターを大写しにした「The photograph of the century」(世紀の写真)は、Lunar Orbiter II(人工衛星ルナ2号)が、コダックから提供されたデュアルレンズカメラ、フィルム、プロセッサー、および読み出し装置を使用して作成したものでした。♦ 全世界のKodakユニットの連結決算は40億米ドルを上回り、Kodakの全世界における従業員数が100,000人に達しました。

1967 - Camera Works(カメラワークス)プラントが、ニューヨーク州Gates(ゲイツ)町にある242ヘクタールの敷地への移転を開始しました。Elmgrove Plant(エルムグローブプラント)というその敷地は、米国における 機器製造の中心となっていました。その後、2000年に売却されました。それ以降は、事業はKodakの所有する他の場所へ移転されました。♦ William S.Chapman(ウィリアム・チャップマン)は取締役会会長に就任し、Dr.Louis K.Eilers(ルイス・K.アイラーズ博士)はその後継として社長に就任しました。

1968 - KODEL Polyester(コーデルポリエステル)製の繊維と糸の製造用に、サウスカロライナ州Columbia(コロンビア)にあるCarolina Eastman Company(カロライナイーストマンカンパニー)が開設されました。

1969 - Kodak Colorado Division(Kodakコロラド事業部)の建設が開始されました。これは、コロラド州Windsor(ウィンザー)で、フィルムと用紙の製造を担当するユニットです。♦ オルドリンとアームストロングの各宇宙飛行士は月面を歩いたときに、Kodakが製造した非常に特殊なステレオカメラを使用しました。♦ Kodakは、TV用途のカラーフィルムの高速プロセスを開発したことにより、「エミー」賞を受けました。♦ KODAK EKTAGRAPHIC Slide Projector(KODAKエクタグラフィックスライドプロジェクター)が導入されました。これは、プロフェッショナルのオーディオビデオ市場向けに設計されたKodak初のスライドプロジェクターです。 ♦ 株主数が200,000に達しました。

1970 - メキシコのGuadalajara(グアダラハラ)に、新しいフィルム製造プラントが開設されました。♦ 提案システムが、累計100万件の提案を受け取りました。 ♦ Dr.Louis K.Eilersは取締役会会長に就任し、Gerald B.Zornow(ジェラルド・B.ゾーノー)が社長として任命されました。 ♦ 1963年から1970年の間に、5,000万台以上のKODAK INSTAMATIC Camerasが製造されました。


1963年から1970年の間に、5,000万台以上のKODAK INSTAMATIC Cameras(KODAKインスタマティックカメラ)が製造されました。

1971 - KodakはKODAK EKTACHROME 160 Movie Film (Type A)(KODAKエクタクローム160ムービーフィルム(タイプA))と、2つの新しいスーパー8ムービーカメラを導入しました。これらを組み合わせると、「既存の小規模」ムービーを家庭用途で実現できるようになりました。♦ Marketing Education Center(マーケティング教育センター)(別称: Riverwood(リバーウッド)サイト)がトレーニング施設として開設され、Kodak製品の使用経験のあるプロフェッショナルに対してさまざまな教育サービスを提供するようになりました。

1972 - Kodakは、人気のあるINSTAMATIC Cameraをポケットサイズに縮小した、5種類の異なるKODAK Pocket INSTAMATIC Cameras(KODAKポケットインスタマティックカメラ)を発表しました。これらは、新しいKODAK 110 Film Cartridge(KODAK 110フィルムカートリッジ)を使用します。このシリーズは非常に人気があったので、わずか3年で2,500万台以上のカメラが製造されました。♦ Walter A.Fallon(ウォルター・A.ファロン)が社長兼CEOになり、Gerald B.Zornowは取締役会会長に選出されました。

1973 - 家庭向け音声付きムービーを公表しました。2つのスーパー8サウンドムービーカメラと、カートリッジロード式のスーパー8フィルムの導入であり、音声を録音するために磁気ストライプを使用しました。♦ 全世界における従業員数が120,000人に達しました。

1975 - KodakはKODAK EKTAPRINT 100 Copier-Duplicator(KODAKエクタプリント100コピー機-複製機)を導入しました。これはオンボードマイクロコンピュータの採用により高品質のコピーとユーザーの利便性を実現し、即座に産業界から賞賛を受けました。

1976 - KODAK EKTAPRINT Copier-Duplicatorsシリーズは拡張され、6つの異なるモデルが発表されました。♦ 新しいKODAK ORACLE(KODAKオラクル)およびKODAK STARVUE(KODAKスタービュー)という各マイクロフィルム製品が導入され、マイクロフィルム化された画像の高速かつ自動的な取得を実現しました。♦ 新しいKODAK Instant Cameras(KODAKインスタントカメラ)と、カラープリントを自分で現像するためのプリントフィルムが発表されました。

1977 - Eastman Chemicals Division(イーストマン薬品事業部)の最新のメンバーであるArkansas Eastman Company(アーカンサスイーストマンカンパニー)が、有機薬品の商業生産を開始しました。♦ Walter A.Fallonは取締役会会長として選出され、Colby H.Chandler(コルビー・H.チャンドラー)は社長に就任しました。

1978 - Eastman Chemicals Divisionは、飲料ボトルの製造に使用されるEASTMAN KODAPAK Thermoplastic Polyester(イーストマンコダパック熱可塑性ポリエステル)を発表しました。


飲料ボトルの製造に使用されるEASTMAN KODAPAK Polyester Polymer Pellets(イーストマンコダパック熱可塑性ポリマーペレット)は、1978年に発表されました。