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1930~1959

 

1930 - Kodakは、マサチューセッツ州Peabody(ピーボディ)にあるゼラチン製造施設を購入し、Eastman Gelatin Corporation(イーストマンゼラチン社)を設立しました。

1931 - Tennessee Eastman(テネシーイーストマン)は、織物分野向けに、初の酢酸セルロース製糸の販売を開始しました。♦ Kodakは、KODALITH Film and Plates(コダリスフィルムと原版)の商用化を発表しました。これらは、グラフィックアート業界で使用されていたコロジオン湿板に取って代わりました。♦ KODAK VERICHROME Film(ベリクロームフィルム)が発表され、1903年以来標準になっていたKODAK NC(Non-Curling)Film(非カーリングフィルム)より広い露光許容度(ラチチュード)とより詳細な微粒子を達成しました。♦ Kodakは、ドイツのStuttgart(シュツットガルト)にあるNagel Camera Company(ナーゲルカメラカンパニー)を買収しました。これはKodak A.G.(Kodakドイツ法人)になり、数十年にわたってKodakの機器製造場所として機能しました。Koepenick(ケペニク)にもドイツの施設がもう1つありましたが、第二次世界大戦後のドイツ分割によって失われました。


Tennessee Eastmanは、1931年に酢酸セルロース繊維の販売を開始しました。

1932 - 最初の8 mmアマチュア動画フィルム、カメラ、およびプロジェクターの商用化が発表されました。♦ Tennessee Eastmanは、初のプラスチック、つまりEASTMAN TENITE Acetate(イーストマンティーニトアセテート)の製造を開始しました。♦ George Eastman(ジョージ イーストマン)は死去し、剰余の全不動産をUniversity of Rochester(ロチェスター大学)に寄贈しました。1949年に、Rochesterにある彼の自宅は独立系の公共博物館として公開されました。The International Museum of Photography at George Eastman House(ジョージ イーストマン邸国際写真博物館)です。

1933 - KodakとWestern Electric(ウェスタン エレクトリック)は共同で、高速業務用写真を商用化しました。これは、高速カメラを電気式タイマーに同期させたものです。

1934 - Kodak A.G.(ドイツ)は、最初の35 mm高精度KODAK RETINA Cameras(Kodakレティーナカメラ)の商用化を発表しました。♦ KodakとGeneral Mills, Inc.(ジェネラルミルズ社)は、Kodakの初期の研究に基づき、分子蒸留に関する共同研究プログラムを開始しました。1938年までに、Distillation Products, Incorporated(ディスティレーションプロダクツ社: 蒸留製品社)はビタミン濃縮物を製造し、1948年にはKodakはGeneral Millsの事業を買収して合併しました。♦ William G.Stuber(ウィリアム・G.ステューバー)は取締役会会長になり、Frank Lovejoy(フランク・ラブジョイ)は社長に就任しました。

1935 - KODACHROME Film(コダクロームフィルム)の商用化が発表され、最初に商業的成功を収めたアマチュア向けカラーフィルムになりました。これは当初、動画向けに16 mmの形式で供給されました。1936年には、35 mmスライドと8 mm家庭用ムービーが続きました。

1936 - Kodakは、新しい家庭用ムービーカメラ、16 mm Magazine CINE-KODAK Camera(16 mmマガジンシネKODAKカメラ)の商用化を発表しました。これは、ロールではなくマガジンに収容したフィルムを使用するものでした。1年後に、Kodakは初めての16 mm音声付きフィルムプロジェクターであるSound KODASCOPE Special Projector(サウンドコダスコープスペシャルプロジェクター)の商用化を発表しました。


KODACHROME Filmは、1935年に商用化が発表されました。

1937 - 初のスライドプロジェクターであるKODASLIDE Projector(コダスライドプロジェクター)を発表しました。これは上部ロードモデルであり、一度に1枚のフィルムを取り出すものでした。

1938 - 光電気による露出制御機能を内蔵した最初のカメラ、Super KODAK Six-20 Camera(スーパーKODAKシックス20カメラ)が開発されました。

1939 - Kodakは、35 mm KODACHROME Filmに対して、READY-MOUNT Service(マウント対応サービス)を追加しました。この結果、Kodakのプロセスラボからスライドを受け取った直後に、スライドを投射できるようになりました。♦ 米国全土にある単科大学および大学を対象に、年間フェローシップ(大学研究員)プログラムを開始しました。

1941 - 多用途のKODAK EKTRA Camera(KODAKエクトラプログラム)の販売を開始しました。この製品のシャッタースピードの範囲は、1/1000~1秒です。♦ 第二次世界大戦中に、輸送スペースを節約する目的で手紙をマイクロフィルム化するシステムとして、KodakはAirgraph、別名「V-Mail」を開発しました。♦ Frank Lovejoyは取締役会会長になり、法務部長だったThomas J.Hargrave(トーマス・J.ハーグレイブ)が社長になりました。

1942 - 世界初のフルカラーネガフィルムとして、プリント用のKODACOLOR Film(コダカラーフィルム)が発表されました。 ♦ KodakのRochesterプラントが、米国 陸軍-海軍から「E」という賞を受けました。これは、戦争に関連して機器とフィルムの製造に大きな実績を残したことが評価されたものです。

1945 - Perley S.Wilcox(パーリー・S.ウィルコックス)はFrank Lovejoyの後継として、取締役会会長になりました。それ以前のWilcoxは、1920年にTennessee Eastman Company(テネシーイーストマンカンパニー)の編成を指揮していました。

1946 - KODAK EKTACHROME Transparency Sheet Film(Kodakエクタクローム透過性シートフィルム)を発表しました。これは、新しく市販された薬品キットを使用することにより、カメラマンが自分で処理できる、最初のカラーフィルムでした。 ♦ Kodakの全世界における従業員数が60,000人に達しました。

1947 - Distillation Product Industries(DPI:蒸留製品工業)で、世界初の合成ビタミンAの商業生産が開始されました。DPIは、1973年にビタミンAの製造を中止しました。 ♦ Kodakは、DuMont Laboratories(デュモン・ラボラトリーズ)およびNBCと共同で、EASTMAN Television Recording Camera(イーストマンTV録画カメラ)を導入しました。これは、TV画面用に画像を録画するものです。

1948 - 動画業界向けに、可燃性の硝酸セルロースベースのフィルムを置き換える目的で、安全性の高い三酢酸セルロースをベースとしたフィルムを発表しました。これは、2年後に「オスカー」を受賞しました。♦ KODAK Continuous Paper Processor(KODAK連続印画紙処理機)によって、スナップ写真の完全自動処理が実現しました。この機械により、1時間あたり2,400枚のスナップ写真を仕上げることが可能になりました。

1950 - 長期にわたって使用されることになる透過型のKODAK COLORAMA Display(KODAKコロラマディスプレイ)シリーズのうち最初のものを公開しました。これは、高さ547cm、幅1,824cmであり、New York City(ニューヨーク市)のGrand Central Station(グランドセントラル駅)のメインターミナルフロアから見上げることができました。毎日、推定65万人の通勤利用者と旅行者がこの人気のある催し物を目にし、長年にわたって劇的な写真の多くが表示され、広く流通している新聞や雑誌の表紙で取り上げられました。この展示物は、1989年初期のGrand Central Stationの修復工事の際に、永続的に撤去されました。


Grand Central Stationに最初のKODAK COLORAMAが展示されたのは、1950年5月15日でした。

1951 - 低価格のBROWNIE 8 mm Movie Camera(ブローニー8 mmムービーカメラ)を発表しました。1952年にはBROWNIE Movie Projector(ブローニームービープロジェクター)が追加され、1955年にはBROWNIE Turret Camera(ブローニーターレットカメラ)が導入されました。♦ Recordak Corporation(レコーダック社)は、それまでに達成された中で最高の縮小率である40:1を実現した、新しいBANTAM Microfilmer(バンタムマイクロフィルマー)を発表しました。♦ 化学薬品の取引で使用するアルコールとアルデヒドを生産するために、テキサス州Longview(ロングビュー)で、Texas Eastman Company(テキサスイーストマンカンパニー)が操業を開始しました。♦ Dr.Albert K.Chapman(アルバート・K.チャップマン博士)がThomas J.Hargraveの後継として社長に就任しました。Hargraveは、Eastman Kodak Companyの取締役会会長になりました。

1953 - 写真石板(フォトリソグラフィー)の印刷原版の作成用に設計されたKODAK Photo Resist(KODAKフォトレジスト)を発表しました。この事業は、1987年にUnion Carbide Corporation(ユニオンカーバイド社)に売却されました。♦ Tennessee EastmanおよびTexas Eastmanが製造した製品を販売する目的で、Eastman Chemical Products, Inc.(イーストマン化学製品社)という新しい子会社が設立されました。

1954 - 高速白黒フィルムであるKODAK TRI-X Film(トライエックスフィルム)が発表されました。♦ Texas Eastmanは、ポリエチレンプラスチックであるEASTMAN TENITEを製造するために新しいプラントを建設しました。♦ Kodak Brasileira(Kodakブラジレイラ)は、ブラジルのSao Paulo(サンパウロ)で感光プラントの操業を開始しました。


KODAK TRI-X Film(KODAKトライエックスフィルム)。

1955 - 1954年に合意に達して署名された法律に基づき、Kodakはプロセスのコストを含まないカラーフィルムの販売を開始しました。長期的な結果は、Kodakにとって新しい市場を生み出し、独立系写真仕上げ業者に製品とサービスを提供することになりました。♦ 全世界における従業員数が73,000人に達しました。

1956 - 白黒フィルムであるKODAK VERICHROME Pan Film(KODAKベリクロームパンフィルム)が発表され、1931年の投入以来一般的だったKODAK VERICHROME Filmに取って代わりました。♦ Tennessee Eastmanは、敷物、織物、および他の家庭用品で使用するためのVEREL Fiber(ベレルファイバー)を導入しました。♦ Kodakは、Apparatus and Optical Division(機器光学事業部)を設立しました。この中には、RochesterにあるCamera Works(カメラワークス)とHawk-Eye Works(ホークアイワークス)が所属していました。

1957 - KODAK BROWNIE STARMATIC Cameras(KODAKブローニースターマティックカメラ)を発表しました。これらのカメラは、やがて7つのモデルによって構成されるようになり、その後5年間で1,000万台以上が販売されました。

1958 - 初の全自動スライドプロジェクターである、KODAK CAVALCADE Projector(キャバルケイドプロジェクター)が導入されました。 ♦ KODAK X-OMAT Processor(エックスオーマットプロセッサー)が、X線フィルムの処理時間を1時間から6分に短縮しました。 ♦ 初の単一レンズ反射カメラであるKODAK RETINA Reflex Camera(KODAKレティーナ反射カメラ)が、 ドイツのStuttgart(シュツットガルト)にあるKodak A.G.によって製造されました。 ♦ Tennessee Eastmanによって開発されたKODAK Polyester Textile Fiber(Kodakポリエステル織物ファイバー)が、衣服で利用できるようになりました。EASTMAN KODEL Fiber(イーストマンコーデルファイバー)を大量生産するためのプラントが1960年に建設されました。

1959 - KODAK High Speed EKTACHROME Film(KODAK高速エクタクロームフィルム)が、市場最高速のカラーフィルムになりました。♦ 完全自動露光制御機能が、2つのKodakスチールカメラと、4つの8 mmムービーカメラで採用されました。♦ Kodakの株主数が100,000に達しました。