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1878~1929

 

1878 - George Eastman(ジョージ・イーストマン)は、当時普及していた、かさばって扱いにくい湿板より、ゼラチン乾板の方がはるかに利便性が高いことを非常に早い時期に実証したうちの1人でした。乾板では、カメラマンが簡単に露光と現像を行うことができました。それに対し、湿板では、コーティング、1回で露光、さらに乾燥前に現像を行う必要がありました。


Eastmanは、非常に早い時期に、カメラマン向けに乾板の大量生産を成功させたうちの1人でした。

1879 - 写真用乾板の大量生産を可能にする乳剤コーティング用の機械を発明しました。

1880 - ニューヨーク州Rochester(ロチェスター)にある建物の屋根裏部屋を借り、乾板の商業生産を開始しました。

1881 - 1月に、Eastmanと、家族の友人で鞭の製造業者であるHenry A.Strong(ヘンリー・A.ストロング)は、Eastman Dry Plate Company(イーストマン乾板会社)として知られる共同事業組合を設立しました。♦ 9月に、Eastmanはそれまでの職業だった銀行員を辞め、専従でこの事業に携わるようになりました。

1883 - 4階建てのビルへの移転を完了しました。その所在地は、343 State Street, Rochester, NYであり、現在は世界的に展開するKodakの本社になっています。

1884 - 事業を、共同事業組合から資本金20万米ドルの法人に変更しました。Eastman Dry Plate and Film Company(イーストマン乾板およびフィルム会社)の設立時は、14人の株主がいました。♦ EASTMAN Negative Paper(イーストマン印画紙)の商用化が発表されました。♦ Eastmanと、知人のWilliam H.Walker(ウィリアム・H.ウォーカー)は、印画紙用のロールホルダーを考案しました。

1885 - EASTMAN American Film(イーストマンアメリカンフィルム)が発表されました。これは、現在知られている透過性の高い写真用「フィルム」の最初の製品です。♦ イギリスのロンドンに、卸売り営業所を開設しました。


State Street(ステート通り)にあったEastman社のオフィス、1890年頃。

1886 - George Eastmanは、柔軟性と透過性の高いフィルムベースの商用化を推進するために、専従の研究科学者を非常に早い時期に雇用した米国の産業人のうちの1人でした。

1888 - 「Kodak」という名称が考案され、「You press the button - we do the rest.」(ボタンを押すだけで、残りは当社が引き受けます。)というスローガンとともにKODAKカメラが市場に出荷されました。これは、現在も数百万人のアマチュアカメラマンが理解しているスナップ撮影の始まりです。

1889 - Eastmanと研究化学者が仕上げた、初の透過性商用フィルムが市場に出荷されました。この柔軟性の高いフィルムにより、Thomas Edison(トーマス・エジソン)の動画カメラが1891年に実現されました。♦ 新しい会社、The Eastman Company(イーストマン会社)が設立され、Eastman Dry Plate and Film Companyの資産を継承しました。


写真撮影の手軽さを宣伝する初期の広告。

1891 - 日中装填型カメラを市場に出荷しました。これは、カメラマンが暗室を使うことなくフィルムを装填できるようになったことを意味します。♦ 写真用フィルムと印画紙の製造部門は、RochesterのKodak Parkにある、新築された4階建てのビルに移転しました。また、米国以外で初の製造プラントが、 イギリスのHarrow(ハロー)に開設されました。


EastmanとThomas Alva Edison(トーマス・アルバ・エジソン)は共同で、動画を実現可能にしました。

1892 - 会社の名称をEastman Kodak Company of New York(イーストマンコダックカンパニーオブニューヨーク)に変更しました。

1893 - 成長を続ける折畳式ロールフィルム装填箱型カメラを製造する目的で、RochesterのState Streetに、6階建てのCamera Works(カメラワークス)を建造しました。

1895 - Pocket KODAK Camera(KODAKポケットカメラ)を発表しました。このカメラはロールフィルムを採用しました。内蔵の小さなウィンドウからは、露出用の位置調整数字が読み取れました。

1896 - X線の発見から1年後に、Eastmanは新しいプロセス用の原版と用紙を供給する契約を結びました。♦ Kodakは、動画用途に特別にコーティングした最初のフィルムを市場に投入しました。

1897 - 1891年に開設した支社を拡張し、フランスに完全所有する子会社を設立しました。

1898 - KodakはFolding Pocket KODAK Camera(KODAK折畳式ポケットカメラ)を市場に投入しました。これは現在では、すべての近代的なロールフィルムカメラの原型であると考えられています。このカメラは、2 1/4" × 3 1/4 "(57.2mm × 82.6mm)のネガを採用しました。その後、数十年にわたって、これは標準的なサイズとなりました。♦ Kodakで提案システムが開始されました。これは、会社の事業を改善する提案をした従業員に現金を支払うというものです。

1899 - 透過性フィルムベースを製造するために連続型輪転処理を開発しました。これは、以前は長いテーブルの上で実施していたものです。♦ 「非常に良い仕事」をしたKodakの従業員に対し、Eastmanは自分の個人的な基金からボーナスを支給しました。 ♦ Kodak Canada Limitedが、Toronto(トロント)における流通センターとして組織されました。

1900 - 有名なBROWNIE Cameras(ブローニーカメラ)の最初の製品が発表されました。この製品は1米ドルで販売され、フィルムは1ロールあたり15セントでした。このとき初めて、事実上すべての人にとって、写真趣味が経済的に手の届くものになりました。

1901 - Eastman Kodak Company of New Jersey(イーストマンコダックカンパニーオブニュージャージー)が設立されました。これは現在の親会社です。George EastmanがNew Jersey持ち株会社の社長になりました。Henry A.Strongは、Eastmanの当初からのパートナーであり、亡くなる1919年までNew Yorkの会社の経営者という地位にとどまりました。

1902 - KODAK Developing Machine(KODAK機械開発)は、ロールフィルムの処理を簡略化し、暗室なしでフィルムを現像できるようにしました。

KODAK Developing Machineは、アマチュアが暗室なしで自分のフィルムを処理できるようにしました。

1903 - KODAK Non-Curling Film(KODAK非カーリングフィルム)の商用化が発表されました。これは、30年近くにわたってアマチュアカメラマンの標準になりました。

1907 - Kodakの全世界における従業員数が5,000人に達しました。

1908 - Kodakは世界で初めて、商業的に実用性のある安全なフィルムを発表しました。これは、非常に可燃性の高い硝酸セルロースベースの代わりに、酢酸セルロースベースを使用したものでした。♦ オーストラリアで製造プラントが開設されました。


Kodak Developing Machineは、アマチュアが暗室なしで自分のフィルムを処理できるようにしました。

1911 - RochesterにあるKodakのBlair Camera(ブレアカメラ)工場が、Hawk-Eye Works(ホークアイワークス)という名称に変更され、1912年にはその場所に光学設計部門が設立されました。♦ Eastmanは従業員のために、手当、事故、および年金に関連する基金を創設しました。♦ 事故防止について研究するために、Kodakで初の安全委員会が組織されました。

1912 - Dr.C.E.Kenneth Mees(C.E. ケネス・ミーズ博士)は、英国人の科学者ですが、George Eastmanによって雇用され、Rochesterで研究ラボを組織して率いるようになりました。これは米国において非常に早い時期に創設された産業研究センターの1つです。♦ Kodakの従業員は、最初のWage Dividend(賃金配当)を受け取りました。これは、利益配分プログラムであり、米国では 現在でも続いています。

1913 - EASTMAN Portrait Film(イーストマンポートレートフィルム)の商用化が発表され、プロフェッショナルカメラマンの間ではガラス板からシートフィルム使用への移行が始まりました。

1914 - 343 State Street, Rochesterに16階建てのビルが完成しました。その所在地は、現在では世界規模に拡大したKodakの本社になっています。1930年には3つの階が追加されました。

1917 - 航空カメラを開発し、U.S.Signal Corps(米国シグナルコープ)に所属する航空カメラマンに対して、第1次世界大戦中にトレーニングを実施しました。Eastmanは米国 海軍に対しても、酢酸セルロースを供給しました。これは、航空機の翼をコーティングするため、およびガスマスクでの使用を目的とした破損しないレンズを作成するためでした。

1920 - フィルムベースとして使用する木製アルコールを製造する目的で、Tennessee Eastman Company(テネシーイーストマンカンパニー)が組織されました。

1921 - 従業員の貯蓄と住宅購入の貸付を目的として、Eastman Savings and Loan Association(イーストマン貯蓄および貸付協会)が設立されました。これは、1994年に独立したクレジット組織になるまで、Kodakの一部としてとどまっていました。

1923 - 酢酸セルロールをベースとして安全な16 mmリバーサルフィルムを発表し、アマチュアによる動画を現実的なものにしました。これは最初の16 mm CINE-KODAK Motion Picture Camera(16 mm シネKodak動画カメラ)と、KODASCOPE Projector(コダスコーププロジェクター)です。16 mmによる動画がすぐに一般的になった結果、世界規模でKodakのプロセスラボネットワークが構築されました。

1925 - Eastmanは、Kodakの取締役会会長になりました。William G.乳剤製造を指揮する目的でEastmanが1894年に雇用したStuber(ウィリアム・G.スティーバー)が、社長に選出されました。

1927 - Kodakの全世界における従業員数が20,000人に達しました。

1928 - 16 mm KODACOLOR(コダカラー)フィルム商用化の発表により、カラー動画がアマチュアカメラマンにとって現実的なものになりました。♦ 銀行の記録を簡略化する目的で設計された最初のマイクロフィルムが、Recordak Corporation(レコーダック社)によって発表されました。これは、新しく設立された、Kodakの子会社です。♦ Kodakの男女従業員のために、退職年金、生命保険、および障害手当が設立されました。

1929 - 新しい音声付き動画の作成専用に設計された、最初の動画フィルムの商用化を発表しました。