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日本映画撮影監督協会 理事長 兼松熈太郎氏
世界の映画人として いま伝えるべき技術が、魂が、ある |
日本映画撮影監督協会(J. S. C.)の第4代理事長として、次々と大きな成果を上げ続けておられる兼松熈太郎氏。日本映画撮影監督協会がメインテーマとして掲げている国際交流や人材育成などについて、コダックの営業部長、前田成弘がお話を伺いました。
6回目を迎える国際映画人シンポジューム
――国際映画人シンポジュームは大きな成功を収めていると思いますが、企画されたきっかけは何だったのでしょうか?
シンポジュームが始まる以前になりますが、協会(日本映画撮影監督協会)の高間賢治さんが、東京国際映画祭の審査員としてジャック・カーディフ(注)さんをお呼びしようと提案し実現したんです。それがきっかけで国際交流の大切さを実感し、協会としても力を入れようということになりました。ですから、文化庁が海外優秀指導者特別助成制度を発表した時に、早速、応募したわけですが、企画が通りまして、その後、韓国、中国、タイ、ベトナム、インドと5年間にわたって、シンポジュームを続けてきました。6回目の今年はインドネシアです。
第1回の韓国の時は韓流ブームの前でしたから、当時、文化庁の文化部長だった寺脇研さんから「協会は絶えず時代の先を読んでいる」とお褒めの言葉を頂きました。でも実際は、それまで、シンポジュームの企画・運営などやったことがないし、どこへどう連絡して海外の映画人を探し出すのかも分からず、難しいことの連続でした。監督さんを呼ぶことから、映画作品を集める、日本語字幕を入れるなど、開催に向けての準備は膨大です。言葉の問題もありますからね。
注:ジャック・カーディフ Jack Cardiff 1914年生まれ、イギリス出身。『黒水仙』(マイケル・パウエル監督)で第20回(1947年)アカデミー賞撮影賞受賞。その後アルフレッド・ヒッチコック監督作などでも撮影監督として活躍。2001年には第73回アカデミー賞名誉賞をキャメラマンとして初めて受賞している。
――日本・タイ合作映画『メナムの流れのように 時は流れて』(仮題)を作ることになったきっかけは何でしたか?
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ノンスィー・ニミブット監督(右)と 兼松熈太郎氏(左) |
2005年、日タイ映画人シンポジューム「煌くタイ映画はこうつくる」の時に、ノンスィー・ニミブット監督の『ナンナーク』(1999年)を上映しました。タイ映画史上最高の興業収入を上げた作品です。
シンポジュームが終わってから、色々と話をしていたら、ノンスィーは小津安二郎監督のファンで、北鎌倉の円覚寺にある小津さんのお墓までお参りに行ったと言うんですね。僕が「松竹時代に小津安二郎監督についていた」と言ったらびっくりして……。ノンスィーに「それじゃ、小津作品で一番好きなのは何だ」と聞いたら『お早よう』(1959年)だって言うんですよ。『お早よう』の時は僕は一番下の助手で、キャメラのスイッチを押してたんです。「小津さんが“ヨーイ、ハイ!”と言ったって、僕がスイッチを入れなきゃキャメラは回らないんだから、『お早よう』は僕が回したんだ」と言ったら、ノンスィーが喜んじゃってね(笑)。意気投合して、ナンナーク規模の映画を一緒に作ろうという話になったんですよ。以来、石田耕一郎さんと2人で、3年の間に4回バンコクへ行き、打ち合わせをするなど実現に向けて準備を進めて来ました。
2007年、第20回の東京国際映画祭で、TPG(Tokyo Project Gathering)企画発表プロジェクトに応募した所、企画グランプリを受賞しました。フランスのアランレネ監督作品などを押しのけての快挙です。この作品が完成すれば国際交流の最終到着点になると思っています。
――タイ以外で密接な関係を保っている国はありますか?
韓国ですね。特にKSC(韓国映画撮影監督協会:Korean Society of Cinematographers)のアン・サンウ会長とは親しくさせて頂いています。釜山国際映画祭にも5年連続で参加しています。2007年はKSCがソウルでデジタルシネマの技術フォーラム(International Digital Cinema Technology Forum)を開催し、これに日本とアメリカの協会が協力しました。日本から阪本善尚さんが出席して講演。僕も映画祭の審査員や撮影賞のプレゼンターをやりましたが、作品を見ても字幕はないし、言葉も分からないし……。それでもやってしまうなんて、国際交流のおかげでどんな場面でも乗り切ってしまう図々しさが身に付いてしまいましたね(笑)。
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| 2006年の日本・ベトナム映画人シンポジューム |
2007年の日本・インド映画人シンポジューム後のパーティー にて、サントーシュ・シヴァン監督(右)と兼松熈太郎氏(左) |
――撮影助手育成塾を始められたきっかけについて教えてください。
かつて日本映画全盛の頃、撮影所は映画を作る工場であると同時に、技術の伝承を含め、映画作りのすべてが学べる学校でもありました。しかし、日本映画の衰退と共に撮影所システムは崩壊し、人材育成の場がなくなってしまいました。さらに、機材の進歩、フィルムの進歩に伴って誰でも簡単に映画が撮れる時代になり、粗悪な映像作品が氾濫しています。映画撮影、特に技術者は、プロとして専門技術をしっかりと学ぶことが必要です。そこで協会の50周年記念事業として撮影助手育成塾を始めたわけです。
塾生は毎年平均して23~25名です。現在4期が終わって5期目に入った所ですので、既に100名近い卒業生がいます。全員とは言いませんけど、その中のかなりの人たちが現場に出ていますね。僕は将来、どこの撮影現場に行っても必ず育成塾の卒業生が活躍していることを夢見ています。
――撮影技術に関して感じておられることはありますか?
キャメラマンは、綺麗でいい画を撮るのが第一条件ですが、同時に、お芝居をどう切り取ったら観客によく伝えられるかということを考えないと駄目だと思っています。お芝居を読む力を身に付けなきゃいけないんです。育成塾でもそう言っているんですが、残念ながら、まだまだ塾生には実感がありません。
――どうすれば技術力がアップするのでしょうか?
基本的には本人の努力次第ですね。あとはとにかく映画を見ること。見るのは、映画だけじゃなくて絵でもいいですね。絵は額縁に入っています。額縁は映画のフレームと同じですので、そういったところが勉強になります。
映画って光と影ですからね。影のない画じゃつまらないと思うんですよ。撮影では、いかに影を撮るかが大事です。もちろん、運・不運もありますね。例えば普段、何の変哲もない街の風景でも、そこに夕日がバーンと当たってくれば、もの凄い光が差し込むわけじゃないですか。その瞬間に遭遇すれば、素晴らしい画が撮れるチャンスが生まれるわけです。でも、仮に遭遇しても見過ごしてしまう人もいます。そこが差だと思いますね。
――これからの活動のご計画をお聞かせください。
当面の活動としては、引き続き“人材育成”と“国際交流”の2つに力を入れて行きますが、著作権の問題や業界全体の労働条件についての改善が必要だと考えています。
著作権については、高村倉太郎前理事長時代より20年間にわたって活動してきましたが、いまだに獲得出来ません。一方、僕は、キャメラマンを含む業界全体の労働条件の改善も、著作権と同じように重要だと思うんですよ。ご存知のように日本の撮影の現場は過酷です。一部の作品を除いてはスケジュールの消化が最優先で現場にゆとりがありません。これではいい作品は出来ないでしょう。
キャメラマンは著作者なんです。著作権法16条には、映画の著作者はプロデューサー、監督、撮影監督、などと書いてあって法律上、著作者として認められているわけです。ところが最近、映画のポスターや新聞広告などに撮影者の名前が出ていることはほとんどありませんね。出ていても小さい字で読めないこともあります。木村大作さんや長沼六男さんは名前が出るんですけど、そうでない人だって一生懸命苦労してるんですから……著作者人格表示権です。何より、名前が出ると嬉しいじゃないですか。だから、育成塾でも足柄で製作した作品には全員の名前を出しているんです。塾生にしてみれば生まれて初めて公の場に名前が載ったということが、もの凄く嬉しいんですよ。協会としては、著作者である撮影者の名前を表示することを第一歩にしたいなと思っています。
――若い方々へのアドバイスをお聞かせください。
僕は、松竹時代は映画だけでしたけど、退社してフリーになってからは、短編やCMなどいろんな撮影をやりました。これからの人も映画だけじゃなく、もっと色々なことにチャレンジして欲しいですね。僕の場合、映画を撮っていてもCMの経験が生きているし、もちろんその逆もある。せっかく築きあげた経験を十分に活用しないとね。例えば、僕がCMの世界へ行った時は「大船撮影所で育って小津組にいた“映画のキャメラマン”」として一目置かれ、それから再び映画の世界に戻った時は「CMで女優さんの美しさを引き出す撮影技術を学んできたキャメラマン」と評価してもらいましたから。
松坂慶子さんを撮った時も「綺麗に撮ってくれてありがとう」と言われましたよ。大原麗子さんのCMを撮った時のことです。通常、女優さんって右向きの顔がいいとか左向きがいいとかあるでしょ。でも、お芝居によってどちらかしか撮れないこともあるじゃないですか。それで最初に麗子さんのところに行って「あっちもいいけど、こっちだっていいじゃない?」って言うとですね「あらそお?」って言って、顔の向きなんかどうでも良くなっちゃうんですよ。そういう部分ってキャメラマンとして大事だと思うんです。
僕が感心したのは、渡哲也さんです。あるCMで渡さんが駆けてくるシーンがあったんですよ。通常だったら、スプレーでシュッシュと吹き付けて汗を作るじゃないですか。でもご本人が「そんな上から吹っかけた汗じゃ駄目だ」と言うんですよ。今から俺がスタジオの周りを駆けてきて汗を出しますからって。やっぱり一流の人の考えですね。それがプロだって思いますよ。
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日本・インドネシア映画人シンポジューム
■2008年10月14日(火) 東京 スペースFS汐留
■2008年10月16日(木) 大阪 大阪市国際交流センター
主催者ホームページ:http://www.jsc.or.jp |
| ● Profile. かねまつ・きたろう |
| ■1937年東京都生まれ。逗子開成学園卒。 ■松竹大船撮影所にて厚田雄春、小杉正雄氏に師事。「小津組」に所属し、小津安二郎作品「彼岸花」「秋日和」の撮影助手を担当。退社後はフリーとなり、映画・テレビ・CMの世界で活躍。 ■主な作品/●映画:『渚の白い家』(1978年 / 斎藤耕一監督)、『不良少年』(1980年 / 後藤幸一監督)、『小津安二郎伝』(1983年 / 井上和男監督)、『自由な女神たち』(1987年 / 久世光彦監督)●CM:松下電器産業『ナショナルクイントリックステレビ』、ピップ『エレキバン』ほか多数。 ■2002年5月より日本映画撮影監督協会の第4代理事長を務める。 |
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